]Y 資料:介護体験集(雑誌より抜粋)

社)家族の会発行「老人をかかえて」2000年2月号(235号)より

初老期痴呆の夫を介護して
 61才の主人がアルツハイマーではないかと言われて5年になります。どうにかこうにか定年まで仕事を続けることができましたが、ここ半年くらい前より病状の進行が早く、話すことは「うん」くらいしか言いません。精神状態も怒って物にあたったり、すごく恐い顔で一日過ごしたり、また落ち着いた日もあったりと、すっかり主人に24時間振り回されています。
 週3回のデイサービスも自分から行く感じではなく、どうにか行かせているという状態です。「暁学園デイサービス」に出かけ、介護されている人たちに会い、いろいろ聞いたり言ったりすることで自分の気持ちがとても楽になり、また頑張って介護しなければと思っております。
 リウマチと喘息の持病がありますので自分自身も大切にしていかなければと思っております。
(愛知県 Sさん) 

母の手触りと優しい抱擁がなくて淋しい 
トリニダード・トバゴのテッサ・ゴパールさん
 私の母は、14年以上の間病気です。母が65才の時に発病しました。私は母と7年間一緒に生活しましたが、今は私の兄の家で生活しています。
 最初の頃、母は同じことを何度も繰り返していましたり、月日など簡単なことを忘れていました。私は病気のことを何も知らなかったので、母のすることにはいつもイライラしていました。しかしある日、母自身、自分から馬鹿げたことをしていることに気づき、気持ちが混乱し不安になりました。 私と一緒に生活した7年間は私にとって多くの不満がたまると同時に悪いことをしたのでないかとの思う日々でした。しかし互いの役割が変わり、母の世話をするのが私の役割となったので、私の母への気持ちは深くなり、母への絆も強くなった時期です。
 母がもう自分のことができなくなり、毎日すべての世話をするのがあたりまえになりました。家の内でも外でも母を見守らなければならないし、怪我をしたり徘徊したり行方不明になることがないよように努めました。母はおとなしく座っていることはなく動き回って私が怒りそうになったりイライラしました。母をいつも見守っていなければならなかたのです。
 私は我慢できる人間ではなかったのです。何度も自分を押さえなければならいことがありました。私は天を見つめ神に尋ねていました。「いつまで続くのでしょうか」と。そして私の不満を身近の人たちのぶつけることも多くありました。何か自分が閉じ込めるられたように感じたものです。
 病気が進むにしたがい、状態が変わり、もっと注意深く見守っていかなければなりませんでした。母の気持ちが前もってわかり、家に入る時も母にとってよい日だったかどうかもわかるようになりました。
 介護からくる精神的なストレスから家族はうつ状態、精神的混乱、緊張、怒り、罪の意識、自尊心の喪失、過剰な負担感に陥ります。また人間としての人格や知性が欠落したアルツハイマー病の人をみるにつけ家族を嘆き悲しくなります。アルツハイマー病の人を介護すると家族全体が影響を受け、家族生活が変わってしまいます。
 多くの介護者は、他人が理解してくれていないと感じています。実際に理解してないことが多いのです。また自分の気持ちをわかってもらえないと感じてもいます。介護者がしなければならない大切なことは、自分たちに必要なこと周りに理解してもらい、介護者がアルツハイマー病の人にとってとても大切な人であること認めてもらうことです。私達の友人や家族に病気のことを知ってもらい私達のすることを助けてもらいましょう。何も罪の意識を持つことはありません。
 今母は病気の最後の時期にいます。兄の家に母を訪ねても私であることがわからなくなっていますが、私の声には優しい微笑みを浮かべます。母はもはや歩くことができません。ただ座って空を見つめているだけです。同時に、私は悲しみを乗り越えようとしています。悲しいことですが母が私をなでたり優しく抱いてくれることは決してありません。
 触ったり、撫でたり、抱いたり、手を握ったり、口づけをしたりすることにアルツハイマー病の人が反応することを知っておきたいものです。こうしたことを通してアルツハイマー病の人は家族が自分のため側におり自分の世話してくれていること、そして愛されていることがわかるかもしれないのです。これが家族のできる最善のことです・

注:国際アルツハイマー病協会ADI発行の"Global Perspective"1999年11月号(Vol.9 No.3)に掲載された"I miss her touch and her gentle hug most"を全訳しました(三宅貴夫)。

(社)家族の会発行「老人をかかえて」1999年12月号(233号)より

夫は日本人ですが
 私の夫は、64才の日本人です。でも私の話す日本語が通じません。それはアルツハイマー病だからです。私はこの病名を知ってしまいましたが、まさか自分の夫がこの病気になるとは考えたことがありませんでした。診断されてから7年になります。これからの人生が考えられないぐらい悩んだ時期もあります。
 が今は自分の仕事をやめ、時間に追われない生活になったが、心から平安でやさしい看護ができるようになりました。老人保健施設を利用し自分も趣味を持ちながらがんばっています。
 こんなに何もが進んでいる時代に治療薬がないというのが残念でなりません。朝、目がさめたら今までのことが夢であったらといつも思います。 
(福島県 Hさん)

遠距離介護をしています
 山梨の甲府へ実母の介護に週3回ぐらい通っています。東京在住の妹と交代で。他の日は父(80才)が世話。週2回老人保健施設・デイサービス利用。介護保険がスタートすると、今より制約が多くなりそうですし、利用が出来にくくなりそうで不安です。病状も進み、娘も認識できず、娘としては寂しいです。一瞬の笑顔だけが救いで、そのために努力している昨今です。
(東京都 Aさん)

(社)家族の会発行「老人をかかえて」1999年11月号(232号)より

痴呆への医師の理解
 アルツハイマー病の妻を介護して2年、この間に脳神経外科、精神科、内科など4人の医師に関わってきましたが、残念なことに介護のあり方について指導、助言、励ましの言葉などを頂いた医師はおられませんでした。
 先般、医師会が行った所属の病院、診療所に対する「在宅医療」に関するアンケート調査の結果によると、デイサービス、ショートステイ、入浴サービスなど保健・福祉の8種類のサービス内容については、回答した医師のはぼ半数が利用の方法について知らなかったとのことで呆れてしまいました。
 こんなことで介護保険の要介護認定の際、主治医として正しい意見を述べられる方がどれだけおられるのかが不安になっています。
 痴呆の場合はむしろ実際に介護にあたっている施設のケアの方の意見の方が正しく反映できるのではないかと思います。  
(北海道 Yさん)

スローグッドバイ(ゆるやかな別離)
 10月1日朝一番で姑の要介護認定申請を済ませる。
 特養入所中の姑は他人には遠慮深く、言いたいことも言えない反面、身内には甘えが出て、はっきりと主張する典型的な外面のよい性格である。
 その故、聞き取り調査時ににわか仕込みの市の職員やケアマネージャーが寮母を介して正確な痴呆の人間の状態がわかるか不安である。調査時に私の同席を求める件を問い合わせ許可された。
 施設の生活は日常の家庭生活と違い、全てお世話していただいているので、注意力や判断力は必要とされない。調査項目にある火の不始末などはしていないから答えようがないが出来るとされるらしい。介護度を低く認定されないよう、姑の答え方を見ていなければと改めて思った。
 映画「ユキエ」を観る。
 「ストーグッドバイ」。アルツハイマー病の人を介護しながら、そう思えるだろうか。”But not so long or only a little”(でもあんまり長くならないか、ちょっとだけならね)付け加え呟き、涙が出てきた。
 これはアルツハイマー病であることを公表したアメリカのレーガン元大統領のナンシー夫人の言葉だという。手厚い介護を受けられる恵まれた人の家族だからこそ言えるのではないか。
 平成9年に亡くなった義父の分も含めた両親の扶養介護費で自分達の老後のゆとりを失い、夫の弟妹、私の実家とも疎遠になり、会話も途絶えた私達夫婦。ユキエと夫のような信頼関係を取り戻せ、被介護者に「スローグッドバイ」と心おきなく言えるよう、日本の介護保険は答えられるだろうか。
会の新名称、明るくグローバルな感じ、気に入りました。
(埼玉県 Yさん)

(社)家族の会発行「老人をかかえて」1999年10月号(231号)より

義姉義弟たちは Tel 1本も
 姑が呆けて約10年、仕事を辞めて介護に専念するようになって1年半が過ぎました。子供と友人に助けられてここまでやって来ました。
 姑には子供が5人もいるのに、義姉義弟たちは2カ月に1度くらい義理Telあるのみです。なにも直接手を出してくれなくてもいいのです。たまには近況を聞いてくれてもと思って、夫に言っても黙っているばかり…。
 遠くにいるとはいえ、親の病気に対してどう思っているのか知りたいのです。こちらからTelするのもばかばかしいですし、こんな自分が嫌になります。
(滋賀県 Kさん)

父も母も大切
 実家の父(72才)が母(69才)の世話をしています。母は重度痴呆で、徘徊もありますが、身体は元気で父といると幸せそうにしています。が、父の表情に少し疲れが見え始めたので家族の会入会とデイサービス利用を勧めました。本人は「出来るところまで自分が…」と言っていましたが、娘の私が半強制的に利用を始めました。
 私は痴呆の母も大切ですが、今元気な父の「今」を大切にしたいと思いました。父も今は元気で何でもやれます。その間に楽しいことをいっぱいやってもらいたかったのです。
 お陰様で、母と離れる時間を本当に有意義に自分のために使っている父が今はいます。
 ありがとうございます。        
(奈良県 Mさん) 

(社)家族の会発行「老人をかかえて」1999年9月号(230号)より

楽に介護するために
 私はアルツハイマー病の家内を10年以上介護しておりますが、介護を始める時、介護者(私本人)が少しでも楽にすることを目標と考え、
1.寝たきりにさせない
2.オムツの取り替え回数を少なくする
3.洗濯回数を少なくする
4.夜間熟睡させる
5.だめ、いけない、やめろ、の言葉は言わない
以上。
 先生、本などでの勉強で、以上の方針で介護を平成2年春から行っておりますが、その結果本人は何時でも誰にでも明るくニコニコしております。介護する私も非常に楽です。
 また夜は夕食後8時に寝かせると朝6時過ぎまで途中起こすこともなく寝てくれますので私の時間が取れます。3カ月間に1度程、寝具を汚します。
 大事なことは介護の一つ一つを良く研究することです。オムツのこと、食事のこと、すべて種々の物が販売されておりますので、本人に合うものを探すことです。また行政や施設と近所の人々と良く話し合うことだと思います。
 二伸。「老人をかかえて」に書いていただきたいことは、介護義務者は民法753条、877条通り、嫁ではなく子供達男女平等であることは介護者の全員に知ってもらいたいことだと思います。
(長野県 Sさん)

(社)家族の会発行「老人をかかえて」1999年8月号(229号)より

病院が悪いのではなく政治が悪い
 「老人をかかえて」毎号、届くのを待ち遠しく読む毎に心を癒されています。
 60才で脳梗塞になった夫は、今73才です(脳血管性痴呆)。3月末から痴呆がひどくなり、友人、知人が来ても全く無反応、無視で、笑うことを失いました。これでは入院医療が必要と思い、いつもの病院(国立精神病院)に行って入院させてほしいと頼みましたが、もっとひどい患者も2,3カ月待機中の人が居るので入院させられないと言われました。入院治療してもらいたくても入院できないのは病院が悪いのではなく、政治が悪いと腹立たしく思います。
(岩手県 Sさん)

施設に感謝
 施設のお願いして早9カ月になろうとしておりますが、6カ月ぐらいは母が手元にいなく、楽になった筈のなのに、自分自身の生活のコントロールが出来ず、半病人のようにして月日を送りまして、ああ世の中でいうことはこういうことなんだなあとこれもまた経験しました。 
 放尿がひどい(オムツや自分ではずす。まだ足が丈夫なので自立歩行)ので、お部屋が朝には大変なので、毎朝面会に行き、部屋の掃除をして来ます。
 6,7年間、24時間毎の介護をした時分を思えば、今の生活は全く苦にならず、いつもいつも施設の皆さんに感謝、感謝の気持ちで一杯です。
 毎朝行くためか痴呆の進行はそう進んでいないようです。
(宮城県 Kさん)

(社)家族の会発行「老人をかかえて」1999年7月号(228号)より

食事の仕方の工夫はできないのか
 寝たきりの母の食事で困っています。自宅では時間をかけて少しずつ食べさせるので問題はないのですが、施設(ショートステイ)では嚥下障害により食事が困難なのようで、ある日、介護士さんに「お母さんに食べさせるのは恐ろしい」と言われ、とても悩んでおります。
 鼻からチューブを入れて食事をとるか、胃に穴をあけて食事をする方法をとらなければならない。私はこれから先も、口から食事がとれるようにと思っているのですが。
 鼻から入れられた管で食事をとってみた看護婦さんの体験が報告されたことがありますが、そんな辛い思いをさせたくないと願っています。施設での食べさせ方の工夫はできないものでしょうか。
(鹿児島県 Kさん)

施設によって質が違いすぎる
 デイサービス、ショートステイなどの名称のサービスでも施設によってあまりに質が違い過ぎると思います。とくにショートステイは良い所がないように思います。
 ぼけに対する理解も正しい知識もない所もあります。そんな所は介護保険制度が始まって、淘汰されていけば良いと思いますが、利用者(家族)にも理解や正しい知識のない人がいて、そんな所でも、ありがたがって預ける人がいるのをみると、あまりにぼけの人が可愛そうになってしまいます。                      (和歌山県 Hさん)

若年性がなぜ難病指定になれないのか
 夫(病人)、若年性で56才頃の発病だと思うが、100余年経っても治療しない病気なのに何故に難病指定されないのか疑問に思う。現在62才、60才になった頃、障害1級の認定を受けたけれど...。また破産寸前の東京都に住んでいるからガマンしているけれど、実状に合わない古い規則をたてにしている東京都の福祉に腹が立つ。 
(東京都 Kさん)

(社)家族の会発行「老人をかかえて」1999年6月号(227号)より

若年の人の受け入れ施設を
 若年性の場合、デイサービス、老人保健施設、特別養護老人ホームなどは受け入れはあっても初期の場合は、本人のプライドを傷つけ、落ち込み、うつ状態になることは多く、結局は行くところがなく家に閉じこもりがちになる。初期の若年性ばかりを受け入れ、軽いスポ−ツ、散歩、レクレーション、カラオケなどをして、規則正しく生活ができる老人保健施設があればと思っています。また、そういうところがあれば他府県でも教えて下されば嬉しく思います。
(奈良県 Nさん)

「私のストレスがたまります」を読んで
 家族の会に入会して1年足らず。会報225号の「会員からのお便り」を読み、思わずキーを叩きました。滋賀県のHさん。「私のストレスたまります」について。
 実母が65才で「初老期アルツハイマー型痴呆症」と診断され約2年。先生にも驚かれるほど、意欲満々、元気すぎる母です。日にもよりますが、台所に立ちたがり、あれこれ、こちらからすれば余計なことを多々してくれます。始めは横についてあれこれ口出してましたが、時とともにこちらの堪忍袋も大きくなり、今では食事の後片づけを任せています。Hさんの言れるように後片づけの後片づけが大変なのは非常によくわかります。でも同じ部屋にいるとこちらの神経がいらだってくるので、別室で他の用事をするようにしています。(それでも何をしているか音でわかるくらいの隣の部屋で)彼女の就寝後、台所を元の状態に戻します。それでも彼女の作ったとても食べられない料理を処分するのはまだ慣れません。
 この高くつくままごともリハビリの一環だと思って忍耐を重ねる日々です。アドバイスにあるように、会のつどいや役員の方々に話を聞いていただき、随分救われました。この会に入会して良かったと痛感する毎日です。本当にありがとうございます!!
(滋賀県 Fさん)


(社)家族の会発行「老人をかかえて」1999年5月号(226号)より

終末期まで抑制
 昨年12月、実父が病院で亡くなりました。88才でした。食道癌ということで、最後は食べられず点滴のみでしたが、そのため両手を抑制され、1カ月ぐらい上を向いたままでした。看護婦さんに「とってほしい」と言っても「点滴をしているから」の一言でとってくれませんでした。終末期、意識が無くなっても抑制してありましたが、私はほどいてあげました。
 次の日亡くなしました。看護って何だろうと思いました。今、抑制禁止と漸く病院でも看護に目覚めてきたところもありますが、これほど医学が進んでいても、看護は進歩しないのかなと思います。「家族の会」としてもあってはならないことがあるという点で、声を出してほしいと思います。                       (群馬県 Tさん)
 
彼女の脳の中に入ってやりたい
 私は約7年前から発病したアルツハイマー病の妻(現在62才)と二人暮らしです。
 平成7年から病態は顕著に悪化して、殆ど全ての症状が出尽くし、現在は心身重度状態の認定を受け、全面介護の生活です(第3期に入り合併症が起こります)。しかし私は以前から「介護」という言葉を使わず、二人で二人三脚、その時々で最良の生活をしております。
 いつも思うことは彼女の脳の中に入ってやりたいと思いながら、
家内から見た世の中はどのようなものだろうか?そして
どのような不自由さを感じているのだろうか?
このことを想像しながら、私の手を補ってやるようにしています。
 (岡山県 Aさん)

ひとこと−−−−−相談医 谷口政春 (京都府・介護者・医師・75才)
 
 奥さんとの中睦まじい関係で過ごされている様子がよく伺えます。特に”脳の中に入ってやりたい”という気持ちは同感です。
 私も同じ病気の妻と二人暮らし、介護して11年になります。既に意志の疎通は困難で、日常生活の総てに介助を必要としていますが、試行錯誤を繰り返しながら、何とか平穏な日々が続いています。
 脳の中へ入る体験では、徘徊の激しかった数年前、いわゆる多動錯乱期での経験です。
 ヘルパーさんの支援を受けていましたが、そのヘルパーさんを認めようとせず、「怖い。その人に殺される」といって、受け入れを拒否します。強行すれば逃げだし、徘徊に繁がり困り果てました。 
 そんなある日、既に私が夫としてでなく、父親として慕われていることに気づきました。
 私を夫として認めないのですから、ヘルパーさんが理解出来ないのは当然です。早速ヘルパーさんに「親しい友達」が遊びにきたように「お芝居」を演じてもらいました。「四才児と父親」という虚構の世界を演じてもらったのです。大成功でした。情緒は安定し、笑顔がもどり、徘徊がなくなったことを経験しています。
 過去に戻すのではなく、前向きに痴呆の世界を一緒に歩こうと心がけています。
 ご健闘を祈ります。

私の生き甲斐
 家内の看護のために定年の2年前に退職してから7年経った。介護が私の仕事である。同じことをするなら愉快にやろうと思っている。愚痴は言わないことにしている。
 私が介護に専念しているから、子供達もそれぞれに自分の仕事に没入していることが、私の生き甲斐でもある。家内がたまに少し反応してくれるとそれも生き甲斐になる。
 こんなことをETV「生き甲斐特集」に書き送ったら、4月25日夜7時10分の番組で放送してくださった。
(京都府 Tさん)

福井県に「家族の会」があれば
 今朝、電話があった。次男の家族と共に生活している義母が夜中に家を出て警察に保護されたという。次男のお嫁さんは、しきりにため息をつきながら「仕方ない。いずれ自分もそうなるかも知れないのだから」と言っている。義母が我が家で生活していた数カ月間、少し兆しは見えたのに、誰一人理解しようとせず、長男の嫁の私を「鬼嫁」にすることで身内の者達の気が済んでいたのだが、今はつらい現実の中でやっと義母の病状が納得できる段階に来たのだと思う。取りあえず、婦人生活社「呆け老人の生活と対応」の紹介、痴呆性老人徘徊感知器の話、医師やデイサービス側との対応の仕方などをアドバイスしたけれど「呆け老人をかかえる家族の会」が福井県にないことまで頭が回らず、ついでに紹介してしまった。あれば随分力になってくれるのだか。
(石川県 Oさん)

司法書士福祉ボランティアの会
 私の父は昨年11月に亡くなりましたので、「家族の会」の実質的な会員ではなくなりましたが、しばらく会員でいるつもりです。それは来年施行される予定の成年後見制度に関心があり、私の近所のボランティアの「家族の会」の方々と今、財産に関することを中心に相談を引き受けているからです。
 本人や家族の方々から様々な相談を受け、話し合いをしています。実は私の職業が司法書士なものですので、以前から老人の財産に関する相談をたくさん受けてきた経験から、現在の民法の規定が不十分だと思っていたところ、法務省が新たに成年後見制度を出し、内容をみるとなかなかよく出来ていると思いました。これなら様々な人が様々な老人の面倒を見ていてやれるのではないかと期待しています。川崎市内の9名の仲間で「司法書士福祉ボランティアの会」を作り活動をしています。
(神奈川県 Kさん)

(社)家族の会発行「老人をかかえて」1999年4月号(225号)より

グループホームが欲しい
 私の介護疲れを取るために、痴呆の父を3回ほど老人保健施設にショートステイへ預けましたが(市の特別養護老人ホームは抽選で手続きも時間がかかり、まだです)、父はいつも病院と思いこみ(雰囲気は病院のようですものね)、「どこも痛くないから帰る」と言って困らせます。身体は元気な父には、外への散歩などがないことも苦痛のようです。
 それで、最近、記事などで紹介されている小人数制のグループホームを求めて、我が市の高齢者福祉課に行ってみたのですが、人口も多く、面積も広い市なのに、「まだ無い」とにべもない答えでした。グループホームに対する理解、支援など前向きさが窓口の職員からちっとも感じられず、がっかりしました。
 痴呆の人には家庭的な雰囲気で、きめ細やかに接してもらえるグループホームのような形が安心と思われるので、市に支援・努力をしてもらうよう自分なりに訴え続けて行こうと思います。  (東京都 Mさん)


(社)家族の会発行「老人をかかえて」1999年3月号(224号)より

若年性アルツハイマーの家内と
  私は平成3年に若年性アルツハイマーと診断された64才の家内を、現在自宅で社会的支援をフルに活用して全介護しています。
 家内の状況は、平成8年に肝機能が悪化し10ケ月入院したため、急速に弱り、立つことも、歩くことも、食べることも、話すことも全くできなくなりました。肝臓の悪化に目をつぶり、痴呆の典型的な初期症状に、私がいま暫く耐え忍んで頑張っていたら、まだまだ普通の生活ができていたのでは”対応がまずかったのでは”と時折胸を痛めています。
 介護に手もかかり力も要り、会話もなく淋しい限りですが、反面至極おとなしく、短時間なら寝かせておいて買い物にも出られ、こうしてワープロも打てるので現状に感謝しています。
 私が溌剌としていなくて、快適な介護はできないと信念から、平成7年には家内と同行した中国山西省の黄土高原の緑化活動に、以来毎年参加し、今年も3月末に8日間行ってきます。 
 会報215号のTさんの「介護者自身の心のケア」の記事に共鳴しております。雑事にかまけてお便りが遅くなりましたが、同じような境遇のTさんとの文通を致したく思っています。   
 (福岡県 Oさん)

心は通じている
 59才になるアルツハイマー病の妻の介護をして早5年。徐々に進行して現在は介護がなければ寝たきりになる状態まで悪化しており、運命の非情さを改めて思い知らされております。
 精神と身体双方が共におかされ、自己の意志表現は全くできない状態であるが、心(ハート)は正常な気がします。それは目で分かります。私が心静かに気分良く対応すると妻も機嫌が良く、誠意を欠いた対応をすると妻も暗い気持ちになり、不機嫌となることが、手に取るように分かって来ました。                  (神奈川県 Sさん)

次の病院探し
 「初老期痴呆家族会」(会報219号)の報告を読ませていただきました。私の主人もアルツハイマー病から肺炎を起こし、救急車で大学病院に運ばれ、誤嚥性肺炎と診断され、大学病院に3カ月入院後、現在の病院に6カ月間という約束で入院していますが、次の病院を探さなくてはなりません。
 どこの病院も長期入院はできないそうで、その理由は病院の赤字になると聞き驚きました。在宅介護は理想ですが、気管切開とか胃瘻の術後の主人のような医療介護を必要とする患者さんが多いと思いますが、このように盥回しをしなくてもよいよう厚生大臣にお願いしたいと思います。
 ある新聞の川柳に「老人は死んで下さい国のため」とあるのを見つけました。高齢社会になり、老人が多くなると言われる度に、早く死ななくては若い人達に迷惑になるという気持ちになってしまいます。公的資金で銀行を助けても、福祉への努力はしてもらえないのでしょうか。であれば、安楽死を認めて欲しいと思います。
 私も糖尿病と顔面神経麻痺で5日前まで入院していました。昨日は主人の顔を見に病院に行き、「私わかる?」と聞きますと、穏やかな顔で大きく頷いてくれました。
 手を縛られている姿(手でチューブを引き抜くため仕方ない)を見ると、何の楽しみもなく、何を考えているのだろうかと、一緒に死にたくなります。ここの病院の皆さん良くして下さり頭が下がる思いですが、長期入院することによって病院を赤字にすることは不本意です。
 愛媛「家族の会」の方へも転院のことで電話相談したりして、「家族の会」に入って良かったと痛感しました。
 肺炎にならない前は二人でコーヒーを飲みに行ったり、デイケアやショートステイなどを利用していたのですが、こんなことになるなんて……という。もう二度と声を聞けないと思うと涙が出る時があります。 
 (愛媛県 Oさん)

自動的に流れるトイレについて
  会報222号の岐阜県のIさんの「使用後に自動的に流れるトイレが欲しい」という便りに、少し違う私の思いを書かせていただきます。でもこれは一日中母に付き添って介護できる恵まれた立ち場の私の考えで偏っていると思いますが、その点容赦くたさい。
 私の母も介護し始めた頃は自動的に流れるトイレが欲しいと切実に思いました(トイレに手を突っ込んだりしましたので)。しかし、痴呆の相当進んできた現在の母の場合、排泄物が唯一、母の健康を知るバロメーターでもあるのです。一切の症状を訴えられない母は赤ちゃんと一緒です。排泄物によって母の健康状態を確かめるしかないのです。それが立ち上がると同時に流れてしまったら困ります。
 実は先月中旬から排尿のたびに血が混ざっていて、診察を受けると膀胱に直径2p大のポリープができておりました。手術するかどうかは泌尿器科の先生と相談してということになっていますが、これも流れるトイレでなかったこと、また色つきの洗浄剤を入れなかったお陰と今思います。大変なことが、将来は大切なことになるということも分かっていただきたくて、このことを書かせてもらいました。 
(兵庫県 Kさん)  
      
家族の会の会員であったことの喜び
 私は、長崎の五島列島に住む一会員です。入会したのは3年前、実母が痴呆症と診断され途方にくれていた時に読んだ「呆け老人とともに」の本で「家族の会」を知ったからです。医療も福祉も十分でない離れ島で、毎月送られて来る会報が私にとって介護の支えになりました。
 一年前、県の巡回相談で県支部の方が島にやってきた時「私会員です!」と手を上げたらびっくりされました。しかし、それがきっかけとなり総会にも海を渡って一日かがりで出向きました。会の皆さんは、会員ということで見ず知らずの私を温かく受け入れて下さいました。「集い」の場所から遠いなら、島でやればよいのだ!そう思って勇気を出して一歩踏み出したのです。準備に一年余り、6月には「地区会」の旗揚げです。私は今、自分が会員であった喜びを感じながら会の発足に向けて頑張っています。
(長崎県 KさN)


(社)家族の会発行「老人をかかえて」1999年2月号(223号)より

よい判断だったと思える
 現在の家族は夫、高2の長女、中3の長男、小5の次女、義父71才(精神障害、および痴呆の重度障害者のため老人施設入所中)の5人家族です。
 この家に嫁いできた時は、祖母(当時75才)がおり、私が来て徐々に痴呆症状が現れ、わが子の育児と重なり、今振り返ってみると本当に大変な日々の毎日でした。
 当時は福祉状況も悪い時でしたので(デイサービスやショートステイなど)、最終的には、やはり老人施設にお世話になり9年前に他界しました。その時は、なんだか後ろめたさや、世間体やら、複雑な心境でしたが、このまま看れる環境にはなく、共倒れにならず、今は、良い判断だったお思えるようになりました。
 現在は、また実家の父(母と二人暮らし)に痴呆が現れ、今後の方向をゆっくり見守っている毎日です。以前の経験により少しは冷静に看られるようになりました。
 介護に現在がんばっておられるみなさん、お互い明るい気持ちで頑張りましょう。
(大分県 Iさん)

義兄弟との関わり方
 病気の義母の暮らし始めて6年余り、3年くらい前から痴呆がひどくなって来ました。近くに住む長男、二女はなぜか訪ねて来ないが、母も会いたいとは言いませんが、親子だから喜ぶと思うのですが。
 義兄弟との関わり方、親子なのに、娘なのに、なぜ平気でいられるのか分かりません。皆で、できることを協力すべきだと思うのですが。
(滋賀県 Aさん)

介護者のケアをアピール
 母を看取って3年目です。近隣にぼけ老人が増えていますね。10年前に比べるとネットワークの輪が増え、理解も深まりましたが、介護者のケアをアピールしたいでねs。
 「介護者の幸福がなければ、ご老人の幸福もないのです」
 地域で小さなグループを作り、介護者の輪を広げています。情報をいろいろいただいて心強く思います。
(神奈川県 Iさん)

退院後は自宅介護でがんばる
 62才のアルツハイマー病の夫は、左大腿骨頸部骨折で入院中です。歩行が困難になってきました。妻の私は、やっとベッドから車椅子へ、車椅子からベッドへ移動させることができるようになりましたが、退院後の自宅での介護が大変だと思います。
 皆様方の介護体験を参考にさせていただきながら、できる限りがんばってみるつもりです。
(熊本県 Kさん)     

(社)家族の会発行「老人をかかえて」1999年1月(222号)より)

わがままな2歳児のように
 母(71才)がピック病と診断され2年になります。人格も変わり、妄想もひどく、とても攻撃的ですがそれ以外は正常な人と全く変わらないので、対応の仕方にとても苦労しています。ボケているようには全然見えないのため(というよりは普段はボケていないのです)、とても我がままな2歳児のようで、本当に疲れます。
(愛知県 Mさん)

提案します
 介護保険で痴呆の人の要介護度が低くしか認定されないことを心配しています。各県支部で県下全市町村に統一した要望書を提出するか、実情をよく知る人をケアマネージャーになれるように支援するなどの運動が必要と思います。世間体を気にしてホームヘルパーなど現行の制度もあまり利用しない会員も結構いるようで、小さな集いにも出て来れない家族の訪問調査の上、利用のアドバイスをいただけると良いと思います。
 会との出会いもまだの方のために在宅介護支援センターなどに、さらに紹介要請等お願いします。将来は、あちこちに家族の会運営のグループホームが出来ると良いですが、それが無理なら小中学校空き教室等でデイサービス、宅老所を設け、会員家族が当番制で介護にあたったらと思います。経験のみでない実技研修が必要と思います。            
(埼玉県 Mさん)

使用後、自動的に流れるトイレが欲しい
 実家の父母(痴呆は母)と同居することになり、新築しますが、母のトイレをどういうのにしたら一番よいか困っています。洋式ですと夜中起きていくと仕方がわからなくなり、和式でも前後反対に向いて使用して、前の方を汚してしまいます。
 目を離していると庭の隅へ行ってしてくるようです。流し方が分からないので手でいじって下に落としたり、手を洗うつもりか便器の中でピチャピチャしております。使用後、立ち上がると自動的に流れる便器があるといいなと思います。 
(岐阜県 Iさん)

気持ちを明るく保つには
 アルツハイマー病の義母の介護と向き合って1年になります。「盗った。なくなった」と言われない日があるとホッとします。身体の疲れは一晩休むと回復しますが、精神的な疲れは蓄積されやすいですね。自分の気持ちを明るく保つにはどうしたらいいかが課題です。一日の中にリフレッシュタイムを設けることも大切ですね。
 それから会報「老人をかかえて」よりも「よりそって」とか「ささえて」という方が悲壮感がないように思えますがいかがですか。                      (鹿児島県 Sさん)

 聞く耳持たずで
 怒りっぽくて屁理屈を言う「そんな汚いことはしていない。やっていない」の一点張りで私の言うことは聞き耳持たずで、何でも自分を正当化してしまいます。日中はトイレに行きますが、水も流さず、便は紙に包み、「水は流した。私ではない」と言います。一応、失禁パンツにしていますが、夜おねしょうしますので、紙パンツはかわいそうと思って「おしっこなんかたれてないから、もっと年をとってからはく」と言ってはいてくれません。
 因みに年齢90歳です。回数もだんだん量も多くなるでのどうすればよいか、おねしょシートでも使用して、当分パンツの洗濯でもするしかないと思っています。 
(滋賀県 Aさん)

 人生の目標ができた
 こんにちは。いつも「老人をかかえて」の会報を楽しみにしております。特に「会員からのお便り」コーナーを一番に読みます。みなさん本当によく頑張っておられるのに感心です。勇気が湧いてきます。私もまだまだ頑張ろうと一大決心をし、NHK学園の高校生になり、介護福祉士を目指し勉強中です。2年生に進級でき、4月からレポートに追われております。私の75歳の実母がアルツハイマーで、3年余りデイケアに通所しております。母のおかげで私の人生の目標ができました。
(富山県 Nさん)

「家族の会」は介護の支え
 妻の突然の発病で途方に暮れていた時、ふと目にした本で知った「家族の会」に藁をも掴む気持ちで入会し、毎月の集いの中で皆さんにいろいろ教えていただき、励まされたお陰で今まで何とか介護を続けることができました。今の私には会の活動にご協力できる余裕はありませんが、いつかはお返しに何かお手伝いしたいものと考えております。
 妻の発病以来何の希望もなくなりましたが、介護を通じて家族の会の皆さんや、福祉に携わる方々の暖かい心に触れることができたことは、私の生涯の喜びとなっております。これからも宜しくお願いいたします。                                (北海道 Yさん)

       
(社)家族の会発行「老人をかかえて」1998年12月号(221号)より

デイサービスで心の張り
 母の暮らすこの町では、この4月から週6日(月〜土)のデイサービスを社会福祉協議会が行うようになりました。3年前の発足当時は週5日で、利用は3日に限られていましたが、日進月歩の勢いのように思います。お陰で母は日曜を除いて毎日のようにお世話になっています。まるで勤め人のように心の張りを感じているさまを、離れていても電話口で耳にするととても安心します。
 「生かされている」とよく耳にしますが、この言葉に、私は深い共感を持つようになりました。4年前にアルツハイマー病の発症を診断された時の苦しみ、悲しみ、不安が今では共に生きていこう、母を支えていこう、福祉社会の手助けをしたいと思う原動力になりました。月に1度、郷里に母を迎えに行き、治療を受けています。その折りに時々二人で句を作ります。
”いくたびか 行きつ戻りつ窓より見ゆる
  宍道のほとり 吾子と吾
    この幸せ たれか思わん”
(島根県 Tさん)

周囲の言葉が気になります
 アルツハイマー型痴呆と病名がついてから8年の義母を介護しています。徘徊、過食、異物を食べたりと問題行動は多く経験してきましたが、足が弱くなったとはいえ、自力歩行し、挨拶などはしっかり出来ます。私が精神的に疲れ、2年前より老人保健施設を利用するようになったのですが、一見元気なため、私の介護放棄を指摘する人がいます(近所に寝たきりの方を看病されているお嫁さんと比較されます)。人の言うことなど気にしないと強がってはみても、気分は落ち込みます。そのような事を言う人が手助けして下さる訳でもないですものね。
 会報の中の記事にうなずいたり、勇気づけられたりしております。これからも介護者の心の支えの役割をお願いします。
(滋賀県 Mさん)

老人保健施設入所で大助かり
 老妻のぼけが始まって4年になります。1日毎の透析を受けていますし、目が少々悪くなっているようです。糖尿病の悪化が原因なのですが、今は老人保健施設に入所して大助かりです。会報を拝見する度に、自分達はまだいい方なんだなと慰められる思いです。これからもよろしくお願いします。
(岩手県 Iさん)

胃瘻の人も特養で看て欲しい
 私の母は一昨年、やっと特別養護老人ホームに入れることが出来ましたが、1年足らずで脳梗塞になり、食べることも、歩くことも、しゃべことも 出来ず、現在病院でお世話になっております。特養では胃瘻の者は介護していただけず、老人病院も3カ月を過ぎると、いつ退院を勧告されるか分かりません。
 特養でも胃瘻の老人を介護して下さる所もあるお聞きます。同じ市の措置を受けていながら大変不公平です。特養と名のつく限り、医療と密なつながりのもとに最期まで介護をお願いしたいと思います。
(京都府 Oさん)
                            
家で最期を
 昨年、義父を看取りました。そして今、実母が入院してしまい、栄養チューブで無惨な姿になってしまいました。今度は逆の立場、離れているのでなかなか行かれず、歯がゆい気持ちです。性分なのか、長く介護に携わっていたせいか、つい、あれこれ気がついてしまい、思い巡らしています。
 なるべく自然に、痛みなく、できれば家で最期を過ごさせてあげたいと思ってしまうのです。在宅介護、医療が整っていれば不可能ではないと、介護保険に期待したいのですが。
(群馬県 Sさん)
                                       

(社)家族の会発行「老人をかかえて」1998年11月号(220号)より

成年後見制度の成立まで待てません

 母は4年前アルツハイマー型痴呆と診断され、それを機に二世帯住宅に立て替え、兄一家と両親が住むことになりました。それまで両親と暮らしていた私は、近くに引っ越しました。昨年父が他界し、母の財産管理について現在困っています。父も寝たきりの生活でしたが、兄夫婦はろくに面倒をみてくれず、母のことも週2回のヘルパーさん、週1回の訪問看護婦さんと私で今は何とかしのいでいます。
 父が亡くなってから、お金の動きに不審な点がいくつも見られますし、前々から両親に対し希薄な兄でした。現時点では禁治産宣告を受けるしかないと弁護士さんはおっしゃていますが、早急に(2000年まで待っていられません)、もっと事を荒立てず母の財産管理を行っていく方法はないものかと思います。
 私は兄夫婦を全く信用しておりません。何か情報があれば教えて頂きたくお願いいたします。
(愛知県 Iさん)

金銭管理は早めに手を打つこと
痴呆が進んだ父は、最近、金銭感覚がおかしくなり、収支が覚えられなくなりました。私が留守の時、売りにきたもの(宗教の本などが多い)は全部買ってしまいます。お金の単位もあやふやで言われた通りに出してしまうので、お使いは私と一緒に行かなくてはなりません。
 幸い、娘ということで私を信用してくれて、印鑑や通帳や重要な書類などは預けてくれている(今はそういうものがあるという事を忘れていますが)ので私の管理責任はありますが、一応安心できています。友人で年金の通帳など一切渡さなかったお父さんのために、気が付いた時は、お金が残っていなくて、その後、長患いになったお父さんの病院代で大変苦労した人がいます。
 また外の子供にお金をやってしまい、同居で世話をしている人が大変な思いをしている例もあります。親のお金について子供は口を出しづらいですが、痴呆の場合は早めに手を打たないと老人自身も世話をする人もみじめになるので、痴呆老人の財産管理を問題提起します。
(東京都 Mさん)
  
当町には老人施設がありません
 現在81才の老人ですが、妻77才がアルツハイマーでぼけ老人になって約4年、寝たきり状態の介護に努めております。私も脳梗塞の病があり、難儀しております。この世の中には多くのこのような方がおられます。私も頑張っております。当町にはまだ、老人施設がありませんので、早くできないかと毎日思っております。何とかご指導をお願いします。
(岐阜県 Sさん)

若年性痴呆の認知を
 会報によりいろいろ情報を教えて頂き有り難うございます。特に、介護者の体験談などは共感することも多く、参考にさせて頂いております。時々、会の名称に「老人」の言葉をなくしてほしいという意見がありますが、私も同意見です。若年性痴呆はまだ、ぼけ老人と違う苦労があるものです。
 若年性痴呆は少数派ですが、社会的にしっかりと認知して頂き、行政のサービスを受けられるようになってほしいと思います。
(神奈川県 Mさん) 
                                   
介護者のケアについての本を
 痴呆症の介護の仕方等についての講演会や本などたくさん出ていますが、介護者のケアについての本や講演会がないのが不思議でなりません。ぼけても、最近では10年以上続くと時間がないのと、介護者の健康状態が悪くなり、「何とかして欲しい」と叫びたい気持ちでいっぱいになります。                                       (奈良県 Mさん)
[三宅:介護者のケアについては例えばWHOの「アルツハイマー病−介護者を支える−」(このページで紹介しています)などがあります:]

呆け老人を包み込んだ老人社会
 呆けた義母を老人病院へ入院させて「ほっと」しています。私(男性)も69才。いつぼけ老人になるかわかりませんが、ぼけ老人を包み込んだ老人社会で、働いたり、趣味を楽しんだりするモデル団地ができることを夢みています。                     (富山県 Oさん)

子供に辛い思いをさせたなくい 
 父母を自宅と病院で老人保健施設で介護し、看取った経験を通して思うことは、私自身が痴呆になったり、寝たきりになったときは、迷うことなく施設なり病院に入って、子供達に同じ体験(辛い思い)をさせたくないということです。
 自宅が本人に最も安らぐことだということは確かですが、人手も少ない今の現状では家族の負担があまりにも重すぎます。かといって粗雑な施設に入っても、かえって子供達は心が痛むでしょうから、その点を良く見極めるために、どんな施設があり、何が必要なのかを40代の今からでも、少しづつ情報を集めたいと思っています。
 (福岡県 Nさん)

老後に不安を感じます
 この頃よく考えます。今は年金をもらい、ひとりで自由に生きているようにみえますが、心のなかには平安がないのではないか。昔、姑には年金等ありませんでしたが、子供が家族が一緒に生活することにより、楽しみも自分の居場所もありました。今、姑の置かれている位置に立つようになった私は、家族の会とのつながりの中で年老いて踏み入れた老後に不安を感じています。
 施設、病院、介護保険、様々なことが導入されますが、年寄りにはそれが一番良いことなのでしょうか。会のミーティングに参加しても、これでよいのかと、終わった後にむなしさが残ってしまいます。老人が多くなって若い人の負担が増して、時々「死んだら楽になるのに」とも考えることがあります。人間としての姿を失わないうちに。
(新潟県 Iさん)